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安達かずみです。
涼しさや鐘をはなるるかねの声(蕪村)
下下も下下下下の下国の涼しさよ(一茶)
涼しさって、離れる時に感じられるものなのかな?
常識や形式や執着から離れる技を身につけたいものです。
涼しさや鐘をはなるるかねの声(蕪村)
下下も下下下下の下国の涼しさよ(一茶)
涼しさって、離れる時に感じられるものなのかな?
常識や形式や執着から離れる技を身につけたいものです。
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安達かずみです。
瀬尾まいこ著『春、戻る』を読みました。
外の人。(中略)そう言われるのが苦しかった。でも、外にいたからこそ、できたこともあったのかもしれない。
外からしか見えないものもあるし、外からしか変えられないものもあるし、外に出ていくことで見えてくることもある。
このお話を読んで、内をより良いものにするには、外との柔軟な交流が大切よね、って思いました。
私の父は、どこの家庭にもおいてある常備薬を配達する仕事をしていました。
どんな閉ざされた村にも入って行く事が出来た薬売り。彼らは、外の世界を伝える役目も持っていたと思うのです。
道具や文化も伝えたことでしょう。薬を持って来てくれるのですから、外からの人とは言っても人は受け入れられたのかも知れません。そんな、外からの人が、内に変化をもたらすし、へんなこだわりを、大した問題じゃないと気づかせてくれたりもします。
自分を外の人だと思っている人は、威張って外の人でいましょう。
この人は外の人だと思う人が近くにいたら、どんどん内に招きましょう!
瀬尾まいこ著『春、戻る』を読みました。
外の人。(中略)そう言われるのが苦しかった。でも、外にいたからこそ、できたこともあったのかもしれない。
外からしか見えないものもあるし、外からしか変えられないものもあるし、外に出ていくことで見えてくることもある。
このお話を読んで、内をより良いものにするには、外との柔軟な交流が大切よね、って思いました。
私の父は、どこの家庭にもおいてある常備薬を配達する仕事をしていました。
どんな閉ざされた村にも入って行く事が出来た薬売り。彼らは、外の世界を伝える役目も持っていたと思うのです。
道具や文化も伝えたことでしょう。薬を持って来てくれるのですから、外からの人とは言っても人は受け入れられたのかも知れません。そんな、外からの人が、内に変化をもたらすし、へんなこだわりを、大した問題じゃないと気づかせてくれたりもします。
自分を外の人だと思っている人は、威張って外の人でいましょう。
この人は外の人だと思う人が近くにいたら、どんどん内に招きましょう!
安達かずみです。
Nさんは、ご主人の、知的障害を持つ親御さん、兄弟を少しでも社会の中で楽しく生きていけるようにと、奮闘中です。
Nさんの話を聞いているときに、私はタカちゃんのことを思い出しました。
タカちゃんは女手一つで二人の息子さんを育てながら暮らしていました。
ある日、友達が二人の子供を連れて遊びに来ました。
その友達は、ちょっと、この子達を見ててくれ、すぐに戻って来るからと、タカちゃんの家を出ました。友達はそれっきり帰ってきませんでした。
二人の子供(一人はまだ、オムツをしています。一人は小学校にも上がっていません)を置いたまま。
一度は施設に預けようと連れて行ったのですが、その時、自分の長男が、泣いて、「僕たちのご飯はタクアンだけでも我慢するから連れて帰ろう」と言ったのだそうです。
それ以来、タカちゃんは昼も夜も働いて、四人の子供を育てました。
置いていかれた子供たちには、いつ、お母さんが帰って来ても良いように、名字を変えず、タカちゃんは自分の事をお母さんとは呼ばせず、「タカちゃん」と呼ばせました。
昼は普通の事務で夜はうどん屋、お客さんが残したご飯をこっそり持って帰り、ザルに入れて洗って食べたりもしたそうです。
先日、久しぶりにタカちゃんに電話すると、そのオムツをしていた子が、立派な大人の声で応対してくれました。感激しました。
タカちゃん、やったね!って、感じです。
Nさんに、このタカちゃんの話をすると、
あー、私なんか、タカちゃんに比べたら、ちいちゃいちいちゃい、だそうです。
Nさんは、ご主人の、知的障害を持つ親御さん、兄弟を少しでも社会の中で楽しく生きていけるようにと、奮闘中です。
Nさんの話を聞いているときに、私はタカちゃんのことを思い出しました。
タカちゃんは女手一つで二人の息子さんを育てながら暮らしていました。
ある日、友達が二人の子供を連れて遊びに来ました。
その友達は、ちょっと、この子達を見ててくれ、すぐに戻って来るからと、タカちゃんの家を出ました。友達はそれっきり帰ってきませんでした。
二人の子供(一人はまだ、オムツをしています。一人は小学校にも上がっていません)を置いたまま。
一度は施設に預けようと連れて行ったのですが、その時、自分の長男が、泣いて、「僕たちのご飯はタクアンだけでも我慢するから連れて帰ろう」と言ったのだそうです。
それ以来、タカちゃんは昼も夜も働いて、四人の子供を育てました。
置いていかれた子供たちには、いつ、お母さんが帰って来ても良いように、名字を変えず、タカちゃんは自分の事をお母さんとは呼ばせず、「タカちゃん」と呼ばせました。
昼は普通の事務で夜はうどん屋、お客さんが残したご飯をこっそり持って帰り、ザルに入れて洗って食べたりもしたそうです。
先日、久しぶりにタカちゃんに電話すると、そのオムツをしていた子が、立派な大人の声で応対してくれました。感激しました。
タカちゃん、やったね!って、感じです。
Nさんに、このタカちゃんの話をすると、
あー、私なんか、タカちゃんに比べたら、ちいちゃいちいちゃい、だそうです。
安達かずみです。
別府市南立石地区の「社会を明るくする運動」で講演をさせていただきました。
先日、テレビで、大阪の夏のスウィーツとしてワラビ餅が紹介された時、瞬間的に幼い頃、関西弁の近所のおばちゃんが夏になるといつも作ってくれていたワラビ餅とそのおばちゃんのことを思い出していました。
国民から最も愛されている童謡「赤とんぼ」も、赤とんぼを見た瞬間に、思い出したのは、自分の子守りをしてくれていたネエヤノこと。
じぶんを形成しているのは、家族だけでなく、無数の大人たちなんですね。
赤とんぼを歌ってもらうのに、そんなお話をしました。
別府市南立石地区の「社会を明るくする運動」で講演をさせていただきました。
先日、テレビで、大阪の夏のスウィーツとしてワラビ餅が紹介された時、瞬間的に幼い頃、関西弁の近所のおばちゃんが夏になるといつも作ってくれていたワラビ餅とそのおばちゃんのことを思い出していました。
国民から最も愛されている童謡「赤とんぼ」も、赤とんぼを見た瞬間に、思い出したのは、自分の子守りをしてくれていたネエヤノこと。
じぶんを形成しているのは、家族だけでなく、無数の大人たちなんですね。
赤とんぼを歌ってもらうのに、そんなお話をしました。