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安達かずみです。
長男と久しぶりに話をしました。
彼は、最近の報道を見ていると、どこにも希望を見いだせる人がいないように思えて人間不信に陥ると言っていました。
確かに、国家レベルで、世界中の大人たちは醜い争いを繰り返しています。
報道をする側にもかなりな偏りがあります。
信じられる「言葉」が見いだせないのです。
私は、同じニュースを見ても何も感じない人もいるし、何の感想も持たない人がいる中で、息子の心がその事に向くのであれば、それが彼の使命なのではないかと思うのです。
今の大人に希望がないのなら、じゃあ、自分はどんな大人になるのか、自分に続く若い人たちにどんな姿を見せ、どんな言葉を発していくのか。
大きなヒントがそこにあると思うのです。
息子に、そんな話をしました。
そして、今日は
「ヒーローを待っていても現れない!
あんたがヒーローになれ!」
とメールをしました。
長男と久しぶりに話をしました。
彼は、最近の報道を見ていると、どこにも希望を見いだせる人がいないように思えて人間不信に陥ると言っていました。
確かに、国家レベルで、世界中の大人たちは醜い争いを繰り返しています。
報道をする側にもかなりな偏りがあります。
信じられる「言葉」が見いだせないのです。
私は、同じニュースを見ても何も感じない人もいるし、何の感想も持たない人がいる中で、息子の心がその事に向くのであれば、それが彼の使命なのではないかと思うのです。
今の大人に希望がないのなら、じゃあ、自分はどんな大人になるのか、自分に続く若い人たちにどんな姿を見せ、どんな言葉を発していくのか。
大きなヒントがそこにあると思うのです。
息子に、そんな話をしました。
そして、今日は
「ヒーローを待っていても現れない!
あんたがヒーローになれ!」
とメールをしました。
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安達かずみです。
朝から大笑いしました。
娘が何かよくわからないプリントにサインをしてと言うので、娘が何か書いてあるその下だなと思って、書きました。
ん?その下にもう一つ空欄がある、と思って、その時初めてプリントの字をよく見ました。(見えないうえに寝ぼけてる)
私が書いた所は校長名とあります。
「げ、間違えた」と言うと娘は「アハハ」
ボールペン消しでせっせと消していると今度は、なんか黒くなったなと。黒い色が付いたのではなく、紙が破れてた。
「げ、破れた」
と言うと
娘「2次災害、3次災害やな、アハハ、矢印して、これは母がやりましたち書いちょこうかな」
夫「毎日かあさんみたいやな」
そのプリント、学力診断テストの申し込み用紙でした。
朝から大笑いしました。
娘が何かよくわからないプリントにサインをしてと言うので、娘が何か書いてあるその下だなと思って、書きました。
ん?その下にもう一つ空欄がある、と思って、その時初めてプリントの字をよく見ました。(見えないうえに寝ぼけてる)
私が書いた所は校長名とあります。
「げ、間違えた」と言うと娘は「アハハ」
ボールペン消しでせっせと消していると今度は、なんか黒くなったなと。黒い色が付いたのではなく、紙が破れてた。
「げ、破れた」
と言うと
娘「2次災害、3次災害やな、アハハ、矢印して、これは母がやりましたち書いちょこうかな」
夫「毎日かあさんみたいやな」
そのプリント、学力診断テストの申し込み用紙でした。
安達かずみです。
人権講演を聞きに行きました。
公民館までの道を歩きながら、街路樹で鳴く虫の声に合わせて口笛を吹いていたのですが、全ての木で同じ音が聞こえるのです。
不思議だなとおもいました。
でも耳は清められた気がしました。
講演の内容はDVに関する事でした。
話を聞いてみて、普段の何気ない生活の中で、支配する事、支配される事をどこかで、受け入れていたり、仕方ないと思ったりしているなと思いました。
まずは、支配してよい人は、この世にいない、支配されて良い人はこの世にいないと、自分が知らないといけませんね。
一番身近な人で、自分より弱い人に、「支配する」心が起きます。気づく事さえ無く。
この話を聞いて、人間も一人になってはならない、と強く思いました。
自分の生き方が、他の人生を傷つけていないか、他の人生を打ち消していないか、このことをチェックする機能は人間の中にしかないと思うのです。
自分以外の人との共鳴音に耳をすまさなければ。
街路樹の虫たちのように。
人権講演を聞きに行きました。
公民館までの道を歩きながら、街路樹で鳴く虫の声に合わせて口笛を吹いていたのですが、全ての木で同じ音が聞こえるのです。
不思議だなとおもいました。
でも耳は清められた気がしました。
講演の内容はDVに関する事でした。
話を聞いてみて、普段の何気ない生活の中で、支配する事、支配される事をどこかで、受け入れていたり、仕方ないと思ったりしているなと思いました。
まずは、支配してよい人は、この世にいない、支配されて良い人はこの世にいないと、自分が知らないといけませんね。
一番身近な人で、自分より弱い人に、「支配する」心が起きます。気づく事さえ無く。
この話を聞いて、人間も一人になってはならない、と強く思いました。
自分の生き方が、他の人生を傷つけていないか、他の人生を打ち消していないか、このことをチェックする機能は人間の中にしかないと思うのです。
自分以外の人との共鳴音に耳をすまさなければ。
街路樹の虫たちのように。
安達かずみです。
点訳・音訳の会50周年記念誌に載せる個人の文章を書いていたら、20年ほど前の、視覚障がい者の小さな女の子の事を思い出しました。
私の演奏している所まで這って来て(彼女は足にも障がいがあったのです)、私の足を支えにして立ち上がり、それからしばらく私のお腹の辺りを触っていました。
畳の部屋の客席側に身内の人が抱いて連れて行くと、その後は、全身を使って聞いているような感じで、身じろぎもせず、私の演奏を最後まで聞いてくれました。
「こんな聞き方があるんだ」と、感動しましたが、今でも、その姿はすぐに思い出す事ができます。
「聞く」という本来のあり方は実は、あの女の子のようでなくてはならないのかもしれません。
全身の皮膚が、どんなふうに、その音を受け止め、受け入れているのかを、自分に問いながら、私の体はその音を心地よいと叫んでいるのか、自分に尋ねながら聞くのが本当の聞き方なのかもしれません。
点訳・音訳の会50周年記念誌に載せる個人の文章を書いていたら、20年ほど前の、視覚障がい者の小さな女の子の事を思い出しました。
私の演奏している所まで這って来て(彼女は足にも障がいがあったのです)、私の足を支えにして立ち上がり、それからしばらく私のお腹の辺りを触っていました。
畳の部屋の客席側に身内の人が抱いて連れて行くと、その後は、全身を使って聞いているような感じで、身じろぎもせず、私の演奏を最後まで聞いてくれました。
「こんな聞き方があるんだ」と、感動しましたが、今でも、その姿はすぐに思い出す事ができます。
「聞く」という本来のあり方は実は、あの女の子のようでなくてはならないのかもしれません。
全身の皮膚が、どんなふうに、その音を受け止め、受け入れているのかを、自分に問いながら、私の体はその音を心地よいと叫んでいるのか、自分に尋ねながら聞くのが本当の聞き方なのかもしれません。