×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
安達かずみです。
点訳・音訳の会50周年記念誌に載せる個人の文章を書いていたら、20年ほど前の、視覚障がい者の小さな女の子の事を思い出しました。
私の演奏している所まで這って来て(彼女は足にも障がいがあったのです)、私の足を支えにして立ち上がり、それからしばらく私のお腹の辺りを触っていました。
畳の部屋の客席側に身内の人が抱いて連れて行くと、その後は、全身を使って聞いているような感じで、身じろぎもせず、私の演奏を最後まで聞いてくれました。
「こんな聞き方があるんだ」と、感動しましたが、今でも、その姿はすぐに思い出す事ができます。
「聞く」という本来のあり方は実は、あの女の子のようでなくてはならないのかもしれません。
全身の皮膚が、どんなふうに、その音を受け止め、受け入れているのかを、自分に問いながら、私の体はその音を心地よいと叫んでいるのか、自分に尋ねながら聞くのが本当の聞き方なのかもしれません。
点訳・音訳の会50周年記念誌に載せる個人の文章を書いていたら、20年ほど前の、視覚障がい者の小さな女の子の事を思い出しました。
私の演奏している所まで這って来て(彼女は足にも障がいがあったのです)、私の足を支えにして立ち上がり、それからしばらく私のお腹の辺りを触っていました。
畳の部屋の客席側に身内の人が抱いて連れて行くと、その後は、全身を使って聞いているような感じで、身じろぎもせず、私の演奏を最後まで聞いてくれました。
「こんな聞き方があるんだ」と、感動しましたが、今でも、その姿はすぐに思い出す事ができます。
「聞く」という本来のあり方は実は、あの女の子のようでなくてはならないのかもしれません。
全身の皮膚が、どんなふうに、その音を受け止め、受け入れているのかを、自分に問いながら、私の体はその音を心地よいと叫んでいるのか、自分に尋ねながら聞くのが本当の聞き方なのかもしれません。
PR
この記事へのトラックバック
トラックバックURL:
- <<気持ちいい
- | HOME |
- あー、楽しかったー>>
この記事へのコメント