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安達かずみです。
1月26日の池田大作氏の記念提言の中に釈尊の説話があって、印象的だったので紹介します。
弟子の一人が老いて病んでいますが、誰も看病する者がなく、一人で苦しんでいます。
釈尊は、なぜ一人で苦しんでいるのかと聞きます。
すると、その人は、自分は、若く健康だった時に老いて苦しんでいる人の面倒をみなかったのだから、今、自分がこうなった時に誰も面倒をみてくれなくても仕方がないのだと言います。
釈尊は、なら自分があなたの看病をしようと言って、釈尊自ら、その人の体を洗ってくれたりしました。
そして、他の弟子たちに、なぜ、老いて病んでいる人をほうっておくのかと尋ねます。
弟子たちは、その人は若く健康だった時に苦しんでいる人のために何もしなかったのだから、当然の報いを受けているのだと言います。
釈尊は、私の弟子で、私に仕えようと思う者は、目の前にいる苦しんでいる人に仕えなさい、と言います。
この人は、こんな目にあっても仕方がない、当然だと思うのは、大変な思い上がりであると。
「この世に、苦しんでいるのに、ほうっておかれて良い人など、一人もいない!」
これが、釈尊の叫びです。
この叫びを、自分の生き方の基本にできたら、と強くおもいました。
1月26日の池田大作氏の記念提言の中に釈尊の説話があって、印象的だったので紹介します。
弟子の一人が老いて病んでいますが、誰も看病する者がなく、一人で苦しんでいます。
釈尊は、なぜ一人で苦しんでいるのかと聞きます。
すると、その人は、自分は、若く健康だった時に老いて苦しんでいる人の面倒をみなかったのだから、今、自分がこうなった時に誰も面倒をみてくれなくても仕方がないのだと言います。
釈尊は、なら自分があなたの看病をしようと言って、釈尊自ら、その人の体を洗ってくれたりしました。
そして、他の弟子たちに、なぜ、老いて病んでいる人をほうっておくのかと尋ねます。
弟子たちは、その人は若く健康だった時に苦しんでいる人のために何もしなかったのだから、当然の報いを受けているのだと言います。
釈尊は、私の弟子で、私に仕えようと思う者は、目の前にいる苦しんでいる人に仕えなさい、と言います。
この人は、こんな目にあっても仕方がない、当然だと思うのは、大変な思い上がりであると。
「この世に、苦しんでいるのに、ほうっておかれて良い人など、一人もいない!」
これが、釈尊の叫びです。
この叫びを、自分の生き方の基本にできたら、と強くおもいました。
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