中勘助の小説『提婆達多(だいばだった)』を読みました。
王子として青年期まで何不自由なく過ごし、出家し、大組織の長となる。釈迦と同じ環境を同じ時代に生きた、釈迦の従兄弟ですが、その動機や志は全く正反対でした。
釈迦が、全ての人が救われる法を求めたのに対し、提婆達多は、釈迦に対する嫉妬だけで生きたのです。
最期は孤独の中、惨めな死に方をしますが、中さんは、作品の中で素晴らしい結論を言っています。「もしそこに我々に救いがあるならば、提婆達多こそまことに救われるであろう。提婆達多が救われずば、我々の誰が救われるであろうか」
はい、間違いなく私もそうでなければ救われない一人です。
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