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日蓮の手紙の中に、仏になる道についてこう書いていました。
ーー 昔の聖人、賢人と言われた人は、仏になる為に命を捨てた。今の私達、凡夫にとって、命を捨てる事に代わるものは、“志し”である。志しとは観心という事である。観心とは、これを離しては今日の命を長らえられないというものを自分を導いてくれる者に差し出し、一つしかない衣服を差し出す事である。ーー
観心とは心を観るという事ですが、その人が何を優先しているのかを見れば、その人の心が分かるという事です。
仏という、最高の境涯を自分のものにする為には、優先してやっている行動を、自分を導く師に近づけなければなりません。
日蓮のこの手紙は弟子の真心の供養に対して書かれた物ですが、自分をより良く成長させてくれる人を求め、近づくことなしに、心を磨くことは不可能な気がします。
今、とっている行動は明らかに自分の心の表れなのですから、現在の自分を常に超える作業は、自分を師匠にして出来るわけがないからです。
愚かな自分を正しいと思いたくなる自分と戦って、より正しい、優れた人を求めて今の自分を向上させていきたいものです。
安達かずみ
ーー 昔の聖人、賢人と言われた人は、仏になる為に命を捨てた。今の私達、凡夫にとって、命を捨てる事に代わるものは、“志し”である。志しとは観心という事である。観心とは、これを離しては今日の命を長らえられないというものを自分を導いてくれる者に差し出し、一つしかない衣服を差し出す事である。ーー
観心とは心を観るという事ですが、その人が何を優先しているのかを見れば、その人の心が分かるという事です。
仏という、最高の境涯を自分のものにする為には、優先してやっている行動を、自分を導く師に近づけなければなりません。
日蓮のこの手紙は弟子の真心の供養に対して書かれた物ですが、自分をより良く成長させてくれる人を求め、近づくことなしに、心を磨くことは不可能な気がします。
今、とっている行動は明らかに自分の心の表れなのですから、現在の自分を常に超える作業は、自分を師匠にして出来るわけがないからです。
愚かな自分を正しいと思いたくなる自分と戦って、より正しい、優れた人を求めて今の自分を向上させていきたいものです。
安達かずみ
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