×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
クリスマスイブは1日、ボランティアコンサートでした。
お釈迦様は、若者は老いてないという驕りを持ち、元気な者は病気ではないという驕りを持ち、生きている者は死なないという驕りを持っている、と言っています。
必ず、自分にもやってくる、老病死なのですが、その時がくるまで身も心も同じ所に置く事ができなぃ愚かさが悲しい。だから、私は「どうか、患者さんたちに元気な者の驕りを感じさせる事がありませんように」と祈りながら演奏をしました。
アンデルセンの物語に、影が本体を乗っ取ってしまうお話があります。影とは一度青年期に会っているのですが、その時には、自分の事として向き合わずに別れます。再び影が現れるのは、中年期です。この時に、本当は命がけで影との戦いをしなければならなかったのですが、主人公は反対に影に従ってしまうのです。影とは、自分の中にある、最も醜い部分です。見たくない所です。しかし、見ようとしなければ、この主人公のように影は力を付け続け、ついには、自分をコントロール下に置く事さえするのです。
私もまさに今、この中年期の影との戦いをしなければならない時を迎えています。戦闘意欲満々です。どんなに、醜い、巨大な姿をしていようと、勝たなければ、影に乗っ取られます。私の影は、驕りです。これと、瞬間 瞬間戦っていきます。
安達
お釈迦様は、若者は老いてないという驕りを持ち、元気な者は病気ではないという驕りを持ち、生きている者は死なないという驕りを持っている、と言っています。
必ず、自分にもやってくる、老病死なのですが、その時がくるまで身も心も同じ所に置く事ができなぃ愚かさが悲しい。だから、私は「どうか、患者さんたちに元気な者の驕りを感じさせる事がありませんように」と祈りながら演奏をしました。
アンデルセンの物語に、影が本体を乗っ取ってしまうお話があります。影とは一度青年期に会っているのですが、その時には、自分の事として向き合わずに別れます。再び影が現れるのは、中年期です。この時に、本当は命がけで影との戦いをしなければならなかったのですが、主人公は反対に影に従ってしまうのです。影とは、自分の中にある、最も醜い部分です。見たくない所です。しかし、見ようとしなければ、この主人公のように影は力を付け続け、ついには、自分をコントロール下に置く事さえするのです。
私もまさに今、この中年期の影との戦いをしなければならない時を迎えています。戦闘意欲満々です。どんなに、醜い、巨大な姿をしていようと、勝たなければ、影に乗っ取られます。私の影は、驕りです。これと、瞬間 瞬間戦っていきます。
安達
PR
この記事へのトラックバック
トラックバックURL:
この記事へのコメント